今日もまた

 

また新しい1週間が始まりました。

なんだかんだと言いつつも

普通に起きて働き、

何かを着て

何かを食べて

誰かと話し、笑い、

いろんなことを考えて、また眠る

そうやって過ごす毎日です。

 

今週も頑張って過ごそう。

 

今年に入ってから使い始めた

Notion というアプリに

日々考えたことなどを

記録するページを作っているのですが

それをこの週末に読み返しました。

 

これを使い始めたのも

Audible で本を聴き始めたのも

それで習慣について考え始めて

試行錯誤を始めたのも

今年に入ってからなんだということに

改めて気づいてびっくり。

今まで私は何をしてたんだ。

 

何かを系統立てて考えること

何かについて学ぶこと

そういうことを別に

避けてきたわけではないけれど

気付くのが遅かったなと思うことが

山のようにあります。

 

いやいや、昔から

読んだり聞いたりしてたのに

それを現実に落とし込めなかった

ということかも。

身につけることが

できなかったということかも。

時間にも気持ちにも

余裕がまったくなかった

ということかも。

 

とにかく、ようやく少し

自分を進化させることが

できるようになったのが

この歳かよ まったく

であります。

 

それでも、気づいてよかったね。

いろいろなこと

改善しようと思えてよかったねと

心から思ってるので

ぎりぎり間に合ったと

思うことにします。

まだ40年くらいはある予定。笑

 

今の人生の間に

どこまで自分を成長させることが

できるのでしょうね。

それは自分との対話だったりもするので

じっくりとがっぷりと

取り組みたいものです。

 

遅すぎるなんてことは

ないんだなって思います。ほんと。

いつでも昨日よりもほんのちょっとでも

いい自分でいられるように

今日も頑張ろう。

 

誰かと比べてどうとか

そんなことは意味のないこと。

昨日の、1週間前の、1年前の自分より

ちょっとでも成長してると思えたら

それは褒めてあげていいことなんだと

思うことにしましょうね。

 

本日もお越しいただき

ありがとうございます。

また重症の方も増えている様子。

報道は当初の頃ほどではないですか

きっと現場が大変なことは

変わりなく続いているのでしょう。

今も最前線で戦ってくださっている

世界中の医療従事者の皆様に

心からの感謝を!

 

 

 

 

 

 

本を読む

 

打って変わって

気持ちよく晴れた、

でもひどく風の強い日曜日です。

 

こんな日に火事が起こると

大変だろうと

大変だっただろうと

昨日から「羽州ぼろ鳶シリーズ」を

読んでいるので、ふと

そんな方向に頭が動きます。

焚き火をするようになってから

火の怖さを強く感じるようにもなりました。

 

消防車のサイレンが聞こえてきて

なんだか落ち着かない。

本当に火事が出たなら大変だ。

 

羽州ぼろ鳶シリーズは

ご存知の方も多いかと思いますが

今村翔吾さんによる

江戸時代を舞台にした

火消したちを主人公にした

時代小説シリーズです。

長谷川平蔵や

老中田沼意次なども登場する

熱い物語で、めっぽう面白い。

どなたかが解説で漫画 ONE PIECE に

なぞらえていらしたのですが

まさに、そんな感じの小説。

 

今出てるところまで、

何度目かわからないけれど

読み返していて、

さっき終わってしまった。

 

こういう時が困ります。

ドラマや小説の世界に

すっかり没頭していたのに

ぷつりと途切れてしまった時。

 

次に何を見れば

何を読めばいいのか

何を見て何を読んでも

物足りない気持ちになるのだろうと

予想できる時。

 

現実ではない世界を描く

映像もそうだけれど漫画も

小説なんて、文字だけでそれを

やってしまう才能のある人たちって

本当にすごいなぁと

思わずにはいられません。

 

勉強になる、ためになる本

それはそれでありがたいけれど

なんとなく、自分の至らなさを

自覚しながら読み進めるわけだから

楽しいというのとは全然違う。

 

どきどきはらはらする小説は

生きていく上での楽しみで

喜びのひとつなんだよねって思います。

 

観に行きたい

映画があったけれど

なんとなく自重しました。

 

変異株の感染力が高いこと

ワクチンは当初思っていたほど

順調に供給されては全くおらず

医療従事者に打つ分も

実は確保されていないのではないか など

朝のニュースで聞かされると

なんとなく不安なことが多くて

今日は家にいよう、と決めました。

(先週末に、鬱憤は

随分晴らしたということでもあり。)

 

1年前とあまり状況は変わってないな。

私たちは少しだけ

対処法を学んでいるけれど

それでも対処できなくなると

やはり「閉じこもる」という唯一の

解決法を取らざるを得ない。

 

ワクチンの接種が進んだ国でも

それにかこつけて油断すると

また感染者が増えるという事例も

起こっているようだし。

うーん。

 

ここは粘り強く、

辛抱強く

コロナとの戦い?共存?に

取り組むということなのでしょう。

 

本を読んだり

朝から湯船に浸かったり

料理をゆっくり作ったりしてます。

 

それはそれで、悪くないんだよな。

ほんと。

自分の意思で家にいると

それはそれで

十二分に楽しめるものです。

 

目の前の楽しさ喜び嬉しさを

大事に過ごそう。

家にいて猫2匹の寝顔を見ながら

平穏に過ごせる日曜日。

なんて贅沢で幸せなことでしょう。

 

皆様にも、どうぞ良い

日曜日でありますように。

 

本日もお越しいただき

ありがとうございます。

今も最前線で戦ってくださっている

世界中の医療従事者の皆様に

心からの感謝を!

 

 

 

変則との戦い方

 

今日の東京は雨。

どしゃどしゃと気持ちいいくらい

降っています。

 

ベランダから見える欅は

ある日突然緑の葉におおわれて

若葉をどんどん伸ばしています。

この期間は樹液も降るし、

何か葉が出る前に被っていたものなのか

小さな茶色いものがさらりさらりと

降り続ける時期です。

掃除が意外と大変。

 

雨が降ると、掃除はひと休み。

でも、はいてもはいても何かが降り落ち

続けなくては一瞬たりとも

きれいにならないし

放置するとひたすら汚れていきます。

身につけようとしている習慣は

すべからく、そういうものかもな、と

雨に濡れるベランダを見ながら

思ってました。

 

週末に出かけたことで

あらゆることがなんだかズレてしまい

うまくルーティンを戻せずにいます。

今朝もキッチンを片付ける時間がなくて

そのままにして出てきてしまった。

 

帰っても、キッチンが汚れているのを

片付けてからでないと

ご飯が作れない。やれやれ。

 

ルーティンというのは

面白みのないものだけど

やり方を考えて考えて

改良を続け、毎日重ねていることは

いろんなことの大事な基本なのだと

実感するようになっています。

 

そして、疲れていると、出来ないね

ということも学習しました。

 

スパルタ精神論でどうにかするのは

悲しくなる時点で間違ってる(私的に)。

たかが家事くらいのことで

悲しくなんてなってられませんって。

気持ちよく楽しくできる自分の方法を

探し続けるのだ。

 

へとへとで帰ってきた日曜日は

何もできませんでした。

荷物を片付けるのも、

諦めて放置しました。

お風呂に入っただけで

褒めて欲しいくらいの気持ちで

早めに眠ったけれど

まだ月曜日には

疲労感がズーンと残ってて

普通に仕事に行って、1日働くだけで

いっぱいいっぱい。

 

洗濯と着物を干すことだけは

朝に頑張りましたが

夜はまた早く眠ることに。

 

2日ゆっくり眠って

火曜日には復活しました。

復活すると、あら、

普通に動けるのね。

 

疲れている時には、

素直にたくさん眠ること

これを鉄則にしようと思いました。

 

しばらく動いてなかったからか

一泊二日の旅行でも

疲れ方が半端ない気がします。

 

もう水曜日なのに

いろんなことが

後手後手になっていて、

間に合わないものがこぼれてますが

朝のルーティンはほぼ戻り、

家の中もどうにか整ってきました。

 

なかなかね、理想的な1日なんて

送れるものじゃないけれど

近づいていこうと努力することは

諦めちゃいけないな。

「週末に出かけた時の戻し方」とか

「いつもと違う動きをしたときの戻し方」とか

そういうのがかなり重要だな、と

実感してます。

 

こつこつと積み上げたものが

一気に崩れる可能性があるタイミング。

しばらくやらずにいたことは

しない、ということが容易くて

とても魅力的に見えてしまう。

 

将来的に良いものをもたらす習慣ほど

現在にかかる負荷が大きく

(毎日のランニング)

将来的に悪いものをもたらす習慣ほど

現在においては魅力的。

(ストレスによる甘いもののドカ食い)

 

James Clear 氏は ATOMIC HABITS の中で

2日は休まないようにする、というルールが

とても重要とおっしゃってました。

 

3日目には、しない、という新しい習慣が

作られ始めると。なるほど。

 

2日も3日も、もっとでも

休んじゃう時も正直あるけれど

私はとにかく、やめないこと

休んでたことはなかったかのように

また始めることをやめないようにと

それは心がけようと思っています。

 

そして、どうしてもうまく続かないことは

自分がダメなんじゃなくて

やり方が悪いのだと

考えるようになりました。

違うタイミングを考える

違うやり方を考える

そもそもそれが必要な習慣なのかも考える。

自分にとっては必要だ、と

理性的な頭の時に強く思うのであれば、

それをうまく習慣とするための

ありとあらゆる作戦を立てて

試していくしかないのですよね。

 

失敗がなければ、経験値は厚くならないと

今回の崩れたルーティンを振り返りながら

ダメダメな自分を責めるのでなく

ようやく前向きな気持ちになれてきた。

こうやって書くことには

いろんな作用があるってことです。

 

本日もお越しいただき

ありがとうございます。

こうして雨が降り、

少しずつ気温が上がっていき

初夏がやってきますね。

テレビを見て、ドラマを見て

音楽を聴き、ラジオを聴き、

勉強したり考えたり、手を動かしたり。

どれだけ自分を進化させられるか

自粛期間はそんな時間にしていこう。

 

今も最前線で戦ってくださっている

世界中の医療従事者の皆様に

心からの感謝を!

 

 

 

気仙沼

 

気仙沼です。

 

 

この穏やかな海が一変した日から10年。

壮絶な日々を超えて

夢を叶えられた和江さんの

新社屋も、そしてお祝いの会も

素晴らしかった。

 

 

繊維産業を象徴するノコギリ屋根。

安定した採光が可能なこの屋根には

太陽光パネルが嵌め込まれ

この真下にある縫製場には

自然光が降り注いでいました。

空がいつでも見えるという

明るく素晴らしい空間。

スタッフの皆さんの笑顔と

どこもかしこも全部見てくださいと

誇らしく嬉しそうな様子が印象的でした。

 

スマホ持っていくの忘れて

社屋の写真はバスの中から撮った

この1枚だけ。(だめじゃんね)

 

事務所、配送センター

倉庫、店舗、

お茶を飲んだり食事を取ったりする

「笑顔の集会所」と名付けられた場所。

ここにいずれはカフェを作りたいと

おっしゃっていました。

いろんな夢がここからまた始まるのだな。

 

着物を

「やさしく たのしく おもしろく」

というぶれない思い

社員さんたちを大事に、

厳しくも楽しく職場を作ること

雇用を作り、人を集める場所を作り

気仙沼という場所を盛り上げて

地域に貢献するということ

 

買い手よし

売り手よし

地域よし

 

その思いが貫かれていることに

肌で触れることができるような時間でした。

もうね、お祝いの会の間中は

涙ぐみっぱなし。笑

 

 

ホテルに入る前に

気仙沼市復興祈念公園というところに

連れて行っていただきました。

気仙沼の海が一望できる高台にあり

犠牲になられた方々の

名前が刻まれている場所。

青い海と青い空が眩しかった。

 

そして、今日は

東日本大震災遺構・伝承館と

いうところにも。

 

当時の映像を見ると

ここでも涙が止まりません。

残された方々の

ドキュメンタリーなど拝見すると

涙腺が崩壊します。

改めて、すごい災害だったのだと

本当に。

ここの皆さんはいろんなことを

超えて来られたのだな。

 

そういう土地に

ご縁が出来ました。

また、今度はゆっくり

遊びに来させていただこうと思います。

 

久しぶりに温泉につかり

美味しい食事をいただき

さまざまな刺激を受けた二日間でした。

いろんなご縁に感謝だな。

 

どうにか自力で着られました。笑

 

本日もお越しいただき

ありがとうございます。

今も最前線で戦ってくださっている

世界中の医療従事者の皆様に

心からの感謝を!

 

 

 

着る愉しみ

 

夜の着付け特訓で

へとへとになっております。笑

結論としては

一朝一夕でどうにかなるもんではない。

ほんとにね。いやはや。

腹を括って、

今出来る精一杯で挑むしかないな、という

いつも通りの感じであります。

 

へとへとだけど、楽しいの。ほんと。

「着る」というただそれだけのことなのに

なんでしょうか、これは。

 

難しいからやりがいがあるというか

ちょっとうまくいくと嬉しいし

うまくいったと思ったら

やっぱりあかんやん、がっかり

だったりするし。

 

洋服には形のデザインが数限りなくあり

アイテムも様々あり、

それが刻々と変化し続ける、という

難しさがありますが

子供の頃から毎日毎日毎日

鏡を見て、とっかえひっかえして

こういうタイプのものが似合う とか

こういう風に着るといい感じ とか

数限りない練習を重ねてきているから

それなりに着られます。

そもそも、「着る」ということだけなら

そんなに難しいものではない。

Tシャツとゴムのパンツとか

秒で着られるよ。超簡単。

 

着物も毎日着ていれば、

そんなに大変でもなく

着られるのでしょうし、

こうするとちょっと

顔が小さく見えるとか

衿が決まるとかそういうコツも

毎日やってれば

身に付いていたことでしょう。

浴衣みたいなものに紐を括るだけなら

秒で着られるのかもしれません。

履くものも、下着も、

雨の日対応グッズも

自然に揃っているのだろうし

TPO に合わせていろんなものが

あることでしょう。

 

要するに回数なんだよなぁ。

 

どちらも着ようとすると

いろんな「もの」の量が増えます。

 

洋服でも、「喪」のシーン用に

服、靴、バッグ、ストッキング、

アクセサリー と

一気にそれなりに揃えようとすると

すごい金額にもなるし、

純粋に「もの」の量も増えます。

一定のシーンにしか使わないものでも

そんな時は、心を尽くしたい

礼を尽くしたい時でもありますから

軽々しく考えられるものでもありません。

 

洋服も、着物も、

生活を愉しくしてくれるもの。

若くなくなっていく自分が

どうでもいいよ、って感じに

どんどん老けていくんじゃなくて

鏡の中で少しでも、

いい感じに見えると

その嬉しさは倍増です。

 

輝くばかりに可愛いとか美しいとか、

そういうのはやってきたんだよ、多分。

そんな自覚は全くないけど、

今の自分があの頃の自分を見たら

そうだったんだよね。

きっと眩しいよ。肌とかぱーんとして。

いつの間にかそういう時代は

終わってしまいました。笑

今さら求めてもしょうがないし

取り繕ってどうにかなる

そういうレベルの時代も過ぎました。残念。

 

でも、だから、毎日毎日頑張ってる

自分のことは

甘やかして大事にしてあげましょう。

自分しかそんなことしてくれないし

自分に余裕がないと

人を大事にしてあげることも

なんだか難しくなりますもの。

 

かさかさの手には

たっぷりクリームをぬって

丁寧に擦り込んであげるとか

その程度だけど

大事にしてあげよう。

新しく買ったけど、微妙っていう服を

今のトレンドだからと無理して着るより

10年前のものでも

気に入ったものを着て嬉しい気持ちを

大事にしよう。

くたくたになっちゃってても

最高に着心地のいいものを着て

あー気持ちいいんだよなこれ って

笑顔になることを大事にしよう。

 

上手に着られなくても

着物を着ようと

悪戦苦闘している時間そのものの

愉しさを満喫しよう。

 

考えてどうにかなることは

考えなくちゃいけないけど

考えると辛くなることばかりを

考えるのはちょっと置いておいて

今の自分を笑顔にしてくれるものに

フォーカスしていることにしましょう。

 

 

本日もお越しいただき

ありがとうございます。

今も最前線で戦ってくださっている

世界中の医療従事者の皆様に

心からの感謝を!

 

 

 

ようこそ我が家へ

 

昨日さかもとりえさんを自宅に

お迎えしたのですが

お昼過ぎまでご予定ありとのことで

じゃ、軽いお昼を用意しますね、と

お伝えしました。

 

”軽いお昼” を準備するのも

誰かに家に来てもらうのも

自分に対しての軽いプレッシャーです。

 

日々の掃除ルーティンで

そこそこきれいにしているつもりだけれど

それは自分の秤で計ったきれいさで

「お客様が来る」目線で見るとどうなんだ?

と、もう一度見直す機会。

 

自分なりのゆるさが入ってる部分が

そこここレーダーに引っかかります。笑

でも、完璧なんてことはありえないし

必要以上に気にしないようにしないと

そもそも誰かに来てもらうことなんて

無理、ということになってしまう。

ので、まぁ、それなりに。

 

基本、昔ほど気にならなくなってます。

ま、こんなもんでしょ、と

思えるようになりました。

そして、それはある意味

自分の成長のように感じてます。

いいかっこしなくなったということね。

ある程度毎日頑張ってる

そのままの自分でいいや、と

思えるようになったというか。

 

数年前だったら

全部の部屋を覗かれることなどないのに

全部の部屋をきれいに片付けなくちゃとか

前の日から遅くまで頑張りすぎたりして

空回りしていたところ。

何せいらっしゃるのが

お片づけの先生ですもの。

 

でも今は、

こんな感じで、えへへ。

で、済ませることができるようになりました。

(成長?)

 

で、お料理です。

自分のためだけに作っているのと

誰かに食べてもらうのとは

ずいぶん意味が違うのですよね。

献立を考えるのも作るのも。

 

大袈裟なことはしないし

手を抜くのも嫌

その辺りのバランスを考えて

自分の力量でちゃんと作れるもの

時間内で無理なく作れるものを。

 

その日初めて作る大層な料理を

作ろうとして失敗、みたいなことを

何度も何度もやらかして

日々作っているようなものなら

ギリギリどうにか

失敗せずに作れるのであって

急に料理上手なフリとかしても

あかんやろ、それは、と

ようやく理解しました。

 

そのためには、日々の自分の食事も

しょーもないものでも

どうやったら美味しくなるか!?を

考え、試し、ということも

すごい大事なんかもしれん、と感じます。

 

昨日の献立は

料理本からいくつか選び

アレンジもしながら

 

しまあじときゅうりの胡麻和え

焼きなすと茗荷のお味噌汁

新生姜の炊き込みご飯

 

というかなり質素な一汁一菜。

優しいりえさんは

喜んで食べてくださって

良かった良かった。

 

誰かのために料理をするのは

本当に楽しく嬉しいことです。

 

で、やっぱり誰かをお迎えすることで

自分も整うのだなと思ったのです。

 

一緒にご飯を食べる、

いろんなことを話す、ということ

それは心の栄養のようなものだと

実感する時間でした。

 

このところの週末は

文字通り家から一歩も出ずに

あまり褒められたものではない感じで

だらだらと過ごしていたので

いつもは会えない人と会うこと

そのためにいろいろ考えることや

手を動かすことは

とても嬉しいことでした。

 

ひとりか二人、ランチなら

週末に月に1回程度なら

うちでご飯食べる?を

やってみてもいいんじゃないかと

思いついてしまった。

 

美味しいものを中心に

人と繋がる場を作ることは

いつかのテーマのひとつでもあるのです。

それが、何のために、とかっていうのは

まだ見えてないのですけれどもね。

 

一人でご飯を食べ続けるのは

しんどい、という実感から思っていること。

そんな風に思いながら

毎日ひとりでご飯食べてる人が

いっぱいいるんじゃないかと思うから。

 

自分が無理せずにそんな場を作るためには

料理をあまり苦にならずに作れることや

そもそもそれなりの味にすることや

コストを抑えて作ることも必要になります。

そのうえ、一緒に食べたいのは好きな人、という

わがまま限定条件も加わるし

ねたねたした人間関係はめんどくさいので

まだまだ考えることがたくさんなのです。

 

そんなことまで考えたのは

りえさんと久しぶりに話したことで

たくさん刺激を受けたから。

 

リアルに会うのはいいな。ほんと。

少人数で、気をつけながら

アウトドアで、ピクニック的なものなら

なお安心かもね なんて

いろいろ考えます。

 

今週も始まりました。

少し、そろり、といろんなことが

動き始めている感じがあります。

何をどうすればいいのか

よくわからなかった去年とは違い

こういう方法ならできるんじゃないかと

ある程度の知識が共有できてるのも

大きいのですね きっと。

野球も今年は見に行きたいなー。

 

本日もお越しいただき

ありがとうございます。

今も最前線で戦ってくださっている

世界中の医療従事者の皆様に

心からの感謝を!

 

 

 

考える時間

 

自粛生活の間に

規則正しい生活が

かなり身につきました。

 

早寝早起き。

 

外食の機会も出張も旅行もなくなり

家の近所のスーパー銭湯にさえ行かず

映画を見に行って遅くなるなんてことも

ほぼなくなりました。

週末に時々、近所のレストランに行くくらい。

それも8時には営業終了だったりしましたから

ちょっと残業したレベルの時間には

家に帰り着いています。

 

家でご飯を食べて、お風呂に入り

仕事をして眠る。

また朝起きて家事をして

会社に行って家に帰る。

 

単調ではあるけれど

するべきことができている充実感と

じっくり物事に取り組める時間がある喜び。

 

いつかやろう、と思っていた

自分プロジェクト(大げさ)を

いくつも実際に動かし始めていて

行動したり考えたり検証したりも忙しい。

長く忘れていた感覚です。

 

そうすると

何かイレギュラーな予定が入って

ルーティンが崩れると

ひどく疲れる気がするようになりました。

 

何もなければできたはずの

あれもこれもする時間がなくなった!と思うと

なんだかストレスになったりします。

 

あらら。どうしたかしら。

 

歳をとってきてるというのもあると思います。

それにしても、今までが

やっぱりいろんなことを詰め込みすぎて

いっぱいいっぱいだったんだろうなぁと

思わざるを得ません。

 

「ハレ」の日は、

「ケ」の日がたくさんある中にあるから

ハレなのだな。

 

さまざまな予定に振り回されて

ものごとをじっくり考える時間もなく

あっという間に日々が過ぎていってました。

 

今も実のところ、そんな感じでもあるけれど

それでも目の前を過ぎていく時間の首根っこを

捕まえて、しがみついて、引きずられてるけど

ちょっとスピードダウンしたかな、

ちょっと見えるようになったかな、

ちょっとは自分で

コントロールでき始めてるかな

という実感があります。

 

働き方を変え、地方移住を考える人が

リアルに多いというのは

まさに、そういうことを考える時間を

持てるようになった人が多いということ。

 

今出ている AERA を

久しぶりに購入したのですが

巻頭特集が早期リタイアについてでした。

 

想像していたのと違い、

月8-10万円くらいに生活費を納めて

そのくらいの利回りで

食べられるようになったら

リタイアするというもの。

 

月々30万とか100万とかの

益が出るようになったら

するもんかと思ってました。笑

もちろんそういう方も

いらっしゃるのですが。

 

年金生活みたいなもんですね。

 

そういうことを考える人も

増えているのだと思うと

このコロナは多くの人にとって

自分の生き方や人生を

改めて見直す機会に

なっているということです。

 

私もまだまだ考えるべきことも

やるべきこともしたいことも

山のようにあり

もしも世界が戻った時にも

以前のような暮らしぶりには

戻らないだろうなと考えています。

 

地に足がついている感覚?

なんだろうか。

なかなかいいもんだ。

(今まで何してた!?って話ですよねー)

 

本日もお越しいただき

ありがとうございます。

今も最前線で戦ってくださっている

世界中の医療従事者の皆様に

心からの感謝を!

 

 

 

迷いながら

 

緊急事態宣言は解除されたものの

やはり感染者数は増加しています。

我慢もそろそろ限界に来ている印象。

人出は明らかに増えていますものね。

 

人に会わず、

温泉付きの個室に料理も運んでもらう

引きこもりの出来る温泉宿などは

興味半分で調べてみたら

すごーく高級なところでも

軒並みずっーーと満室で取れませんよ。

(平日でも!!)

お金持ちの人っているんやなと

違うところにも引っかかりながら

こっそり旅に出てる人も、それなりに

いらっしゃるのだろうと感じます。

 

あー どこかに行きたいねーと

話しながら、ぼやきながら

普通に働き、家に帰り

手を洗ってマスクをして

毎日を送っています。

大半の人はおそらくそうなんだろうな。

 

先が見えませんね。ほんと。

ワクチンったって

いつ打っていただけるものやら。

 

考えうる範囲の対策をしたら

桜も見たいし

外にも出たい。

それはもうありにしようよ、と

みんなが思ってるから

今年は去年みたいに軒並み禁止禁止ではなく

出来る範囲でそれぞれに

お花見も楽しんでいらっしゃる。

 

感染対策をしながら

外で買い物をして

外でご飯を食べて

映画を見て、舞台も見て

そうしていかないと本当に

たくさんのお商売も産業も

消えてしまいますものね。

 

感染力が強いという変異種。

さて、どうなっていくのでしょうか。

 

今朝読んだアドラーの本の章は

キリスト教に関するところに入っていて

全て神に任せる と決めると悩みは消えて

心が穏やかになるとありました。

 

本当にそうだなぁと思ったのです。

私はキリスト教の信者とは言えないし

毎朝拝んでいるのは七福神様と

八百万の神様と

キリスト教でも何でも、

神様と言われる神様全員に

祈っている感じで

敬虔な信者の方から見ると

ひどく邪道なこと。

 

でも、世界中の人がそれぞれ

自分の信じる神様に祈るなら

呼び名は違っても

違う宗教だとしても

その”神様”という漠然とした存在に

私も祈っているのです。

 

出来る限りの努力をしたら

あとはお任せしましょう。

 

どんな筋書きが待ってるのか

何が起こるのかは予想できないから

起こることを受け止め

今、少なくとも健康に、働けること

その全てに感謝して毎日を過ごそうと

改めて思い、少し気持ちが楽になりました。

 

出来ることを頑張るのみ。

ですね。

 

本日もお越しいただき

ありがとうございます。

今も最前線で戦ってくださっている

世界中の医療従事者の皆様に

心からの感謝を!

 

 

 

ピアノレッスン

 

独学ですが

ピアノの練習を始めました。

 

我が家には、

長らく誰にも見向きもされなかった

娘の電子ピアノがあります。

処分しようかと

思ったことも何度かあったけれど

置いておいてと娘に懇願されると

捨てるわけにもいかない。

 

そしてわたしの

「死ぬまでにやりたいことリスト」の中に

ギターかベースか

とにかく楽器を、というのもあり

新たな楽器を買うよりも、

家にあるピアノをやってみようかなと

思うようになりました。

指を動かすのは、色々良さそうだしね。

(ボケ防止とか 笑)

 

子供の頃に習ってました。

当時流行っている習い事だったから

そういう人は多いのではないでしょうか。

中学受験を理由に辞めて

そのままになりました。

 

楽譜の読み方すら

怪しくなっているので、

大人 初心者 ピアノ で検索して

良さそうな楽譜を調達しました。

そうなるとちょっと気持ちが乗ってきて

わくわくして弾き始めています。

電子ピアノなので、イヤホンをすれば

時間を気にせずに弾けるのもありがたい。

 

昔の練習方法と今は、全く違うのですね。

 

小さい子供がゼロから習うような

本当に初歩的な楽譜から始めましたが

単純な曲でも、美しい旋律なら

楽しんで弾けるものなのだなぁと

新たな発見をしています。

 

幼稚園児レベルでも

上手に弾けると嬉しいもんです。

 

楽譜上の音符を見て

無意識に鍵盤の上に指を置ける

そういう練習を一からやり直し

少し戻り始めている感覚があって

なんだかすごく楽しいのです。

 

そして、こんなに簡単なものを

間違わずに最後まで弾けない . . と

愕然としたりしています。

 

少しずつ少しずつ、

約束事が学べるように

細やかな解説がついているので

あぁそうだった、と思い出したり

これはそういう記号だったのかと

今更のように学んだりして

初歩の初歩の1冊目は

夢中になっているうちに最後まで

弾き終わりました。

 

これも、続くといいなぁというものの

ひとつになっています。

毎日ちょっとでも

ピアノに触る時間があるような

そんなライフスタイルになるといいな。

ピアノを弾く習慣を今のライフスタイルの中の

どこに、どんな風に入れていくのが

いいのか、続くのか、

しばらく試行錯誤してみます。

 

リビングか書斎に

ピアノを移動させることも考えよう。

邪魔者扱いだったから

衣装部屋に押し込めてあって

ちょっとかわいそうなピアノ。

また大事にしてあげられるといいな。

 

どういう曲を弾きたいのかとか

明確な目標があるわけでは

ないのですけれど

楽器を奏でられる人に

憧れているということです。

音感もないし、音楽のセンスは

ゼロに近いのは間違いないけれど

そんなことはどうでもいいや、もう。

 

家事でも、料理でも

音楽でも、園芸でも、

スポーツでも、手芸でも

趣味と言われるものの

楽しみ方は人それぞれ。

プロになるわけじゃないんなら

自分が楽しければ、それで十分。

誰に非難される筋合いもないし

何が正しくて何が間違っているわけでもない。

遠回りでも、それが楽しいなら

それもまた良し。

そんなふうに思えるようになって

人生は随分楽になりました。

 

ますます、限られた時間との戦いだ。笑

1日は24時間なのに

しなくちゃいけないことも

したいこともありすぎるし。

 

本日もお越しいただき

ありがとうございます。

今も最前線で戦ってくださっている

世界中の医療従事者の皆様に

心からの感謝を!

 

 

 

誤解の効用

 

書斎にすると決めた元寝室には

作り付けのデスクコーナーがあり

その机の前に鏡を置いてます。

光が入りにくい位置にある部屋で

日中でも暗くて照明をつけないと

何もする気にならない部屋。

常に電灯の灯りの下で

机に向かうのですが、今もそうして

コンピューターに向かっています。

 

薄ぼんやりとした灯りの中で

老眼と近眼が入った目で見ると

鏡の中の自分が

それなりにいい感じに見えて

ぼんやりとしか

見えてないからなんだけど

ちょっと嬉しい気持ちになります。

 

朝の太陽の光の元で

お化粧をしている時には

ほとほと落ち込むしかない感じなのに

夜の光の中では

別人のように見えて

意味もなく救われます。

 

馬鹿みたいだけど

人間ってそういうもんよね。

 

インスタに上げてる写真も

みなさまよくお分かりかと思いますが

元の画像は悲惨なもんでも

今時のきれいになる加工をかけると

あっという間にそれなりに。

 

よくわかってるはずなのに

きれいになった写真見てると

自分はこんな感じなんだと

誤解してしまいそうになります。

 

いやいや、嘘やん、

こんなんちゃうやん。

 

朝起きると何もしてないのに

なんかふくらはぎの筋肉が痛いとか

なんか寝違えた?とか

毎日違う場所に

サロンパス貼るような日々です。

 

あらあらと苦笑いしながら

スルーするしかない。

対処して忘れる。

くよくよしない。

まぁ、ありとあらゆることを

すぐに忘れてしまうのですけれどね。

 

悩んだところで

世界は変わらない。

起こったことは変わらないから

今からのことを変えるしかない。

それも自分がやるしかない。

自分が変えたいのは

どんなふうにで

どんなことでというのは

自分にしか分からないしね。

自分が変化してはじめて

相対する世界が変わるのでしょう。

 

誤解でもなんでも

ちょっとでも機嫌良く

気分良くなれるなら

写真加工も、ぼんやりした視界も

悪くないんじゃないかと思えてきました。

 

おばあさんになっていくことは

くよくよし始めたらキリがないくらい

切ないことのオンパレードでてんこ盛り。

 

容赦ない写真とか

拡大鏡で見る自分の顔とか

現実はしっかり認識した上で

上手に誤魔化して気分をよくしながら

笑って過ごせるならそれでいいや。

 

あまりよく見えない

鏡の向こうの自分は

機嫌のいい顔をしています。

機嫌の悪い顔で過ごすよりも

ずっとずっといいよね。

 

本日もお越しいただき

ありがとうございます。

今も最前線で戦ってくださっている

世界中の医療従事者の皆様に

心からの感謝を!

 

 

 

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